w-qey’s blog

解離性障害とPTSDと薬物依存症です。不定期に更新します。

生きる

人間が、人間として当たり前に持っている力。それが、私にはない。

たとえば、みんなが不条理にたいして文句を言っているとき、私だけ、違った世界にいるように思う。私は臆病なのか、それともプライドが高いのか、何かに対して文句を言うことができない。文句を言っている人を見て、品がない、育ちが悪い、などと思う。だから私はみんながあるもの、あることに対して怒ったり文句を言っているとき、黙ったままでいる。不条理に対してものを言っていかなければ、それは不条理のままになってしまうということは分かっている。けれど、それはとても醜いものだと思ってしまう。みんなが当たり前にできること、することを、酷く醜悪だと思ってしまう。

私は、今、何も楽しいと思えない。人とテレビなんかを見て笑っているときでも、ちっとも楽しくない。あが滑稽なことをして、たしかにその言動は面白いと思えるのだけれど、それ以上にもそれ以下にもならない。人がテレビを見て笑って満たされる心が、満たされないのだ。何をしても空っぽの心が、日毎にその無を成長させていく。

もう駄目だ。私には生きるために図々しさや感覚が備わっていないのかもしれない。誰かといても、私とその誰かとでは決定的に違う、私に何か欠けているものがあるような気がしてならない。自分だけ違う、みにくいアヒルの子にでもなったような気分で毎日必死に生きている。他の人がゆとりをもって生活している中、自分は息をすることにさえ必死で、もう何もどうにもならない。

ただの自意識過剰だと、笑いたければ笑えばいい。けれど今、私はこんなに必死で、他の人たちに混じることができるように必死で、疲労しかない。

今すぐ死ねるなら死にたい。何年か前に編んだビニールテープが引き出しの奥にある、それを取ってきて、首を吊って死んでしまいたい。でも私にはそんな度胸がない。

はやく人間になりたい。生きることが苦痛ではない、本物の人間になりたい。