w-qey’s blog

日々の入院日記です。双極性障害とPTSDと摂食障害です。

障害を持つという事について③

前回は、精神障害について触れた。
 

今回は知的障害について、私が思う事を連ねてみる。


正直に言うと、私は知的障害者が苦手。

 

普通に接する事は出来る、話す事も、一緒に居る事も、出来る。
 

だがそれは、自分がその相手を良く知った上で、当たり前に接する事が出来るから。

 

初対面で、上手く接する事が出来るか。と言われたら、躊躇せずに、私は駄目だと答える。

 

どう接したら良いのかが、判らない。

 

何処まで、普通に接して良いのかが、判らない。

 

経験が少ないという事もある。
幾らかは、経験を積んだ。

 

それでも、まだ、判らないと、感じる。

 

その相手を知っている人と一緒に居れば、何とかなるだろう。

 

だがそれでも、段階を踏み、お互いに時間を掛け、お互いに慣れたらである。

 

相手が何か不味い事を仕出かすか、と心配するのではなく。何か不味い事を、自分がしてしまうのではないか、と心配するからである。

 

私が何か失敗してしまったとしても、そばに居る誰かに援護して貰える、何とかして貰える、と思えれば、安心して接する事が出来る。

 

そう都合良く行かない事も、分かる。接し方が判らず、戸惑ってしまう。

 

会話に関しては、何の話題が出来るのか、何も解らないから。
相手が話したい事が、理解出来るのか、判らない。

 

吃音や、発声し辛いのであれば、時間は掛るが、ゆっくり、ジックリと聴く事が出来れば、大体理解は出来るが、それを全て理解する事には、時間が掛るし、慣れも必要になる。

 

人それぞれの、癖が強いと思えば、そう言った事には、慣れる事が出来る。

 

私も、以前の職場には、障害者が多く居た。健常者より、障害者の方が割と多かった。
 

私は、そこで時間を掛け、お互いの事を理解し合い、それから何とか、普通に接する事が出来た。

 

当たり前に会話し、相談し、相談され、それを当たり前のモノとした。

 

時間も掛ったし、お互いにどう思っているのか、手探りで接し、一応の答えも出せた。

 

有意義な時間を、作り出す事も出来た。

 

不可能と思いますか?

 

そう思われる事が多いと思うのですが、私は、知的障害と言うのは、考える事が出来ないのではなく、考える事に、時間が掛る。長く考える事が難しい。答えを上手く形にする事が難しいと私は考えます。

 

そうと判れば、時間を掛け、その答えが出るのを待って、その答えを上手く、こちらが形にしてあげる事が出来ればその人の意見が聞ける。

 

聞く事は、苦にならないので、ゆっくりでも、意見を出し合える。

 

私自信も話すのは得意ではなかったので。

 

お互いに、共通する話題がそれ位しか、無かったのですが。

 

答えが出ない事が、多かったのですが、お互いが理解できるように話していて、成程と思う事もしばしありました。

 

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長くなりそうなので数回に分けます。

申し訳ございません。