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w-qey’s blog

日々の入院日記です。双極性障害とPTSDと摂食障害です。

生と死について

生と死をついて考える


私は大した事は言えないが、常に生と死について問い続けている。

 

答えが出る訳でも見付かる訳でもないが、問い続けようと思い考え続ける事にしている。

 

一応の答えが出るとしたら、それは私が死に面した時だと思う。

 

私は生きている事を、苦痛に感じ、死にたいと思った事も有る。

 

死にたいが、生きたいとも、思っていた。

 

どちらが正しいのか、悪いのか、答えは出ない。

 

だけど、まだ、生きている。
それが、答えでもあるが、その時、死んで居ればと考える事も、また有る。

 

死んでも構わないから、旅に出た事も、有った。

 

出た途端に死にたくないと思い、何が有っても生きて帰る!と決意した事も有る。

 

死を厭いはしないが、生きる事にも、疎みはしない。

 

訳が判らないが、それで良いとも思う。

 

答えはまだ、見付かってもいないから。
生きる事を、生きている事を、どう考えるか。

 

意味が有ると考えるのか、意味は無いと考えるのかは、それぞれ。

 

私は意味は有ると思う、生きて居たいと思うから、それだけの意味は有ると感じる。

 

意味が無ければ、死んだ方が良いのかは、判らない。

 

まだ生きている事や、死んでいないのだから、生きて見ようと考えている。

 

私には、未練が有る。

 

そう大層なモノではないが、まだまだ、死にたいと思うほど、生きては居ないのだと考える。

 

何時までも、生きては居ないだろうが、それが今だとは、考えていない。

 

それでも、何時かは、死ぬだろうが、もう少し、もっと、ずーっと先である事を望む。
 

その時、どうなっているかは判らないが、目指せ大往生!を目標にしている。

 

旅先の客死に憧れる事も有った。
道半ばで野たれ死ぬ事も、覚悟した事も有った。

 

でも、まだ生きているのだから、まだまだ、この世を楽しみたいとも、感じている。

 

死ぬ事は、怖い。
死んでしまったとしたら、怖い。
死ぬと判ってしまったら、怖い。

 

何も出来なくなってしまう事が、最も怖い。

 

その時には、未練は無いかもしれないが、何も出来ないと言う事が、今の私には、怖すぎる。

 

生きる事が辛くても、生きている事の方が辛くても、何も出来なくなる事の方が、最も怖すぎて、私は生きたいと思う。

 

何時かは、もう良いかな?と思う時が来るまでは、生きて居ようと思う。

 

その時に死ねるかは判らないし、何時かお迎えが来た時にでも、どうするかは、考える事にしよう。どうなるかは、まだ判らないし。

 

だから、私はまだ死にたくは無い。

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