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w-qey’s blog

日々の入院日記です。双極性障害とPTSDと摂食障害です。

自分の生き方について

今までの自分の生活パターンを少し変えて自分の時間を作っています。気分的にもそのほうが落ち着いていられるのでいいですね。私に残っている人生の時間を私は私の好きなように過ごそうと決めてから気分も楽になりました。人に迷惑をかけないのなら自分の好きなように自分の人生の時間を過ごせば良いのですね。

 

振り返ってみれば、基本的に私は私のしたいことをして今まで生きてきましたが、これからはもっと自分の好きなように生きようと思いました。では自分が好きなように生きるとはどのようなことなのでしょう?それは今の病気を治して続け、人様に迷惑をかけないのなら、全く自分に対する社会的評価を気にしないという生き方です。

 

大体世の中というのは何をしても何か人から言われます。お釈迦様も「黙っていてもそしられ、話してもそしられ、およそこの世にそしられない者は居ない。」と言っておられます。それが世の中なのですね。お釈迦様でも悪口をいう奴が2500年前のインドにがいたのです。それが人の世なのですね。

 

そのような人の世に住みながら、自分のしなければならないことを一生懸命して、後は好きなように生きるということが、私は私の人生を全うすることになると思っています。人は自分への評価をあまりにも気にするあまり、自分が好きなように生きられなくなります。どうせこの世の中は自分が思う通りにはならないものです。だからできるだけ自分が楽しいなと思えることをする努力が必要なのですね。

 

人生が「自分が生きたいように生きられない辛い一生でした」では、一回しか無い人生があまりにももったいない気がするのですね。もちろん生きていくには色々な制約がありますが、その中でできるだけ自分が好きなように生きる心の姿勢は大切だと思います。そしてそのような生き方に共感し、一緒に人生を歩んでくれる人が居たらそれは幸せなことですね。やはり人は一人では生きていけないのです。遠く離れていても自分に共感し理解してくれる人が居たら、それはもう自分一人では無いのですね。身近に理解してくれる人が居ればそれこそもっと幸せなことです。

 

私はもう両親も他界し、自分以外に帰るところもありません。兄はいますが私のところに帰ってきてくれません。私が帰る所があるとすれは私自身と禅と禅の生き方を共有できる仲間ですね。これから私が人生の選択をしなければいけない場面では私が一番好きなのは何かなということを基準に決めていきたいと思います。その基準が世間で私がどう評価されるか?どのように見られるか?でないことは確かですね。そんなことは私にとってもうどうでも良いことです。

 

これから死ぬまでの間は自分が心から納得できる生き方をしていきたいですね。そんなことが私の好きなように生きることにはならないのですね。もうそんなことは私の人生でやり尽くしたことです。そういうことをいくらしても無限である自分の心は満たされないのです。

 

これからは好きな事をしながら自分が好きだなと思う人達と一緒に自然を愛で、自然の中で日々の生活を楽しみながら毎日暮していけばそれで幸せです。考えてみれば元々私達の心は自由なのです。それに色々な制限を設けているのは自分自身なのですね。無限の心はやはり無限のものでしか満たすことはできません。自分が好きだなと思う人の心も無限です。

 

私は今まで歳をとるのが嫌だなと思っていました。自分が老いていってジジイになるのが嫌だったのですね。でも、同じ事をしている私が大好きな友達の言葉ではっと気付くことがありました。それはこれから素晴らしい年寄りになるよう歳をとるということです。私は年寄りを見ていてその嫌な部分だけに目を向けて自分もそうなることを怖がっていましたが、それは間違いなのですね。そういう風にならないよう、それを反面教師としてこれからは素晴らしい年寄りになるよう生きていきたいと思います。そう思うと歳をとるのも楽しみですね。人生は心の置き所一つでゴロッと変わります。私はこれから死ぬまでの時間がとっても楽しみですよ。