w-qey’s blog

日々の入院日記です。双極性障害とPTSDと摂食障害です。

入院生活36日目。

体調悪かったりで

更新できていませんでした。

だいぶ調子も良くなってきたので

明日からまた更新していきたいと思います。

 

よろしくお願いします。

障害を持つという事について③

前回は、精神障害について触れた。
 

今回は知的障害について、私が思う事を連ねてみる。


正直に言うと、私は知的障害者が苦手。

 

普通に接する事は出来る、話す事も、一緒に居る事も、出来る。
 

だがそれは、自分がその相手を良く知った上で、当たり前に接する事が出来るから。

 

初対面で、上手く接する事が出来るか。と言われたら、躊躇せずに、私は駄目だと答える。

 

どう接したら良いのかが、判らない。

 

何処まで、普通に接して良いのかが、判らない。

 

経験が少ないという事もある。
幾らかは、経験を積んだ。

 

それでも、まだ、判らないと、感じる。

 

その相手を知っている人と一緒に居れば、何とかなるだろう。

 

だがそれでも、段階を踏み、お互いに時間を掛け、お互いに慣れたらである。

 

相手が何か不味い事を仕出かすか、と心配するのではなく。何か不味い事を、自分がしてしまうのではないか、と心配するからである。

 

私が何か失敗してしまったとしても、そばに居る誰かに援護して貰える、何とかして貰える、と思えれば、安心して接する事が出来る。

 

そう都合良く行かない事も、分かる。接し方が判らず、戸惑ってしまう。

 

会話に関しては、何の話題が出来るのか、何も解らないから。
相手が話したい事が、理解出来るのか、判らない。

 

吃音や、発声し辛いのであれば、時間は掛るが、ゆっくり、ジックリと聴く事が出来れば、大体理解は出来るが、それを全て理解する事には、時間が掛るし、慣れも必要になる。

 

人それぞれの、癖が強いと思えば、そう言った事には、慣れる事が出来る。

 

私も、以前の職場には、障害者が多く居た。健常者より、障害者の方が割と多かった。
 

私は、そこで時間を掛け、お互いの事を理解し合い、それから何とか、普通に接する事が出来た。

 

当たり前に会話し、相談し、相談され、それを当たり前のモノとした。

 

時間も掛ったし、お互いにどう思っているのか、手探りで接し、一応の答えも出せた。

 

有意義な時間を、作り出す事も出来た。

 

不可能と思いますか?

 

そう思われる事が多いと思うのですが、私は、知的障害と言うのは、考える事が出来ないのではなく、考える事に、時間が掛る。長く考える事が難しい。答えを上手く形にする事が難しいと私は考えます。

 

そうと判れば、時間を掛け、その答えが出るのを待って、その答えを上手く、こちらが形にしてあげる事が出来ればその人の意見が聞ける。

 

聞く事は、苦にならないので、ゆっくりでも、意見を出し合える。

 

私自信も話すのは得意ではなかったので。

 

お互いに、共通する話題がそれ位しか、無かったのですが。

 

答えが出ない事が、多かったのですが、お互いが理解できるように話していて、成程と思う事もしばしありました。

 

―――――――――――――――――――――

 

長くなりそうなので数回に分けます。

申し訳ございません。

 

自分の人生。

悩んでいると

人生って何だろう?

って考えることがありますよね。

 

今、もしあなたが落ち込んでいたり、自分のことが好きになれずにいるのなら

 

それはそのようにプログラムされているだけなんだよ。

 

そのように思いなさいと、思わされているだけに過ぎないんだよね。

 

本当はどのようにでも考えることができるし
どのような生き方も選べるの。

 

本当は、どういう人になりたいのか?
本当は、どのように生きたいのか?
本当は、どのような人生にしたいのか?

 

少し考えてみよう。

 

もし、どんな望みでも叶うとしたら、どんな人生にしてみたいかな?


人生は自分で作ることができるの。

 

本当は、どのような自分にもなれるんだよ。

 

そのためには主体性を持って生きるということがとっても大切。


今よりも少しでも楽になるために、
今よりも少しでも幸せになるために、
今よりも少しでも安心して生きるために、

 

正しい考え方を学び、それを日々、実践していくこと。

 

その行いを続ける時間のことを「人生」と呼ぶの。

 

心を成長させ、人格を成熟させる時間のことを「人生」と呼ぶんだよ。


あなたを救えるのは、本当はあなただけ。

 

友人や恋人に救われることもあるけど、24時間一緒に居てくれるわけじゃない。

 

自分と24時間、ずっと一緒に居られるのは自分だけなんだよね。

 

トイレに行くときも、お風呂に入るときも、仕事に行くときも

 

自分は、ずっと自分と一緒。

 

だから自分の人生に主体性を持って参加することが大切になるんだよね。

 

自分はバカだから…。
自分は誰にも愛されていない…。
自分はみんなの邪魔だ…。

 

こんな感じで、自分のことが嫌いになるために
ネガティブになるために、落ち込むためにエネルギーを使ってない?

 

自分には無理…。
自分は無力だ…。

 

このように、自分から力が奪われる言葉を使ってない?

 

今すぐ止めましょう。
エネルギーの使い方を変えた方がいいよ。

 

「苦しい!」「ツライ!」

と叫んでいても人生は変わらない。

 

もう、十分に苦しんだと思わない?

 

もし、あなたが

 

「もう、こんな苦しい人生はイヤだ!」

と思うんだったら

 

変化するためにエネルギーを使おうよ。

 

新しい人生のために、エネルギーを使う方がいいと思うよ。


自分が心の中で自分にかけている言葉を、よく考えてみて。

 

自分が落ち込むための言葉をわざわざかけていない?

 

もし、その言葉を他人から言われたら、どう思う?

 

どんな感情が湧いてくる?

 

怒り?
悲しみ?
ムカツク?

 

他人に言われてムカツク言葉を、自分が自分にかけてるんだよ。

 

ということは、あなたの敵はあなたの中にいるんだよね。

 

自分の中に敵が居たら、24時間、ずっとストレスになるよ。

 

そんな人生にしたいと思う?

 

自分を攻撃していたって元気になれるわけない。

 

人生を変えるためには、自分の味方になることがとっても大切。

 

生き方を変えれば、人生はあなたが望む通りに変化するよ。

 

積極的に自分の人生を変えていきましょう。

 

自分の人生は、自分でデザインすることができるんだから。

f:id:w_qey:20170401164102j:image

入院生活30日目。

更新サボってました。

申し訳ないです。

 

4月になりましたね。

出会いの春に別れの春ですね。

昨年の今頃は本当に毎日薬を飲んで

お酒で酔い潰れてというクソみたいな生活でした。ですので今年は心機一転という事で「断薬」を成功させたいと思います。頑張りますよ!!

 

あと今月の28日で23歳になります。

全然めでたくない。また歳をとってしまった。

永遠の20歳でいたかったなあとか思う(子供か)

そろそろやばいなあ。社会復帰しないと。

 

目指せ!!薬物依存症からの脱却!!

入院生活24日目。

こんばんは。

鬱で動けません。

何一つできません。

洗濯、入浴、食事、着替え。

手を動かす事さえもできない。

今は頓服で何とかなってます。

 

それではまた明日。

 

入院生活23日目。

朝昼とずっと点滴でした。

あーあ、しんどい疲れた。

今日の晩ごはん、ラザニア風!!

味は美味しいけど濃いすぎて吐いた。

f:id:w_qey:20170324203321j:image

 


一瞬でできた傷は

治すのに時間がかかる
あるいはもう治らないかもしれない

残った傷跡は
まるで「私を忘れないでよ」と言うように
不規則なリズムで
自分の歌声を披露する

この傷をつけたあの人が
幸せそうに笑っていても
今の僕には関係ないし

この傷をつけたあの人が
悲しそうに叫んでいても
今の僕には興味がない

この心はもう空っぽなんだ
壊れてしまったから
ごめんね。ごめんよ。
治すのには時間がかかる
あるいはもう治らないのかもしれない

殺生について①

殺す事、生かす事を考える。


殺生をする事は、今は、どうやっても、止める事は出来ないだろう。

 

それでも、一切、無くなる事も無い。

 

少なくする事は、出来るかもしれないが、難しい。

 

減らせたとしても、一面から見て、でしかない。

 

鯨一頭を殺し、食肉にした。
象一頭を殺し、食肉にした。
牛一頭を殺し、食肉にした。
豚一頭を殺し、食肉にした。
鶏一羽を殺し、食肉にした。
魚一匹を殺し、食用にした。
蟲一匹を殺し、食用とした。

 

どれも、一つの命を奪う。
そこから取れる糧が、どれだけあるか。

 

大量に有るモノから、微々たる量しか、得る事の出来ないモノも。

 

大きさで見るか、量で見るか、様々。

 

必要無いから、するなとは、言わないし、言えない。

 

それだけのモノを得る為に、どれだけの命が費やされるか。どれだけの時間が費やされるか。
費やす事でしか、語る事は出来ない。

 

私は殺生をする事については、否定はしない。

 

だが、可哀想だから、そうしたくはないからと言った感情でしないと言うのは、私は考える事は出来ない。
 

必然から、そうせざるを得ないから、そうする事が多い。

 

感情で、心から、そうする、そうしてしまう、と言う事も有るが、その事をとやかく言う事も、私には出来ない。

 

殺すからには、何らかの必然性が有れば、許されるとは思わない。

 

殺して生かす為だとしても、理由を挙げられるか、挙げられれば許されるモノでもない。

 

人は、生きる為に、多くの命を殺す。
命を繋ぐ為、生活する為、己が欲求を満たす為、等様々。

 

それで、その事を、生かす。

 

目的の為に、生かす。他に、生かす為に、殺す。


その行為が、残酷であるか、残酷でないか。
知的であれば、殺す事は出来ないのか、出来るのか。

 

家畜で在れば、殺せるのか、殺せないのか。
野生で有れば、殺せるのか、殺せないのか。

 

私が判断する事は、出来ない。
だが、必然性が有り、そうせざるを得ないのなら。

 

私は、実行するだろう。